村上春樹の『偶然の旅人』を読んだ。
村上春樹の『偶然の旅人』を読んだ。
とても素敵な話だった。
俺はゲイについて偏見を持っていたと気づいた。
心の何処かでは、ゲイは穢れた性欲にまみれた野蛮な人達だとすら思っていたような気もする。
この作品を読んで、その偏見がほぐされて消えた。
自分らしく生きるためには色んなものを失う。
俺は子供の頃からよく変人だと言われることが多い。冗談交じりに。
自分でもそう思う。
色んなものを抱えているし、色んなところがズレている。
「かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、かたちのないものを選べ」
俺にとってそれが何なのかはまだ分からない。
でもこのセリフは覚えておこうと思う。
俺も自分らしく生きたいと思う。
そのせいで色んなことが失われるだろうし、他人を悲しませることにもなるだろう。
俺自身も悲しい思いをするだろう。
それでも自分らしく生きたい。
きっといつかは『偶然』が起きる。
言葉が消える。
喋ろうとすると、うまく言葉が出てこない時期がある。頭の中に話す内容はあるんだけど、それを出そうとすると一気に言葉が無くなってしまう。
とても辛いし、恥ずかしい。
でもそれは1週間か2週間か経てば治ってくるから、無理に治そうとせず、受け入れる。
自分の弱さを受け入れるのは勇気がいる。
でも強いフリをして、楽に生きたくはない。
きっと強いフリをしていると、本当に自分が強い人間だと錯覚して、人を傷付けることに躊躇いが失くなってしまう。
優しく生きたい。
『優しく生きたい』という文字を打つと、突然感情がこみ上げてきて、涙が流れた。
なぜなのだろう。
女々しくて弱い人間だと思われるかもしれないが、それでも構いやしない。
自分の弱さを受け入れて、優しく生きたい。
みんながもっと人を思いやって生きていたら、どんなに素晴らしいだろうか。
でも優しいと、損をすることが非常に多い。
優しくして人に好かれることよりも、優しさを利用されて苦しむことの方が圧倒的に多い。
損をしたり、苦しんだりしても構わないと思っているから、俺は優しく出来ているのかもしれない。
生きたいと思っていたら、どうしても自分中心で、自分が得をする生き方をするのだろう。
当たり前だし、それを責めることは出来ない。
不条理を省みず優しくするというのは、死にたいという事なのかもしれない。
なぜ俺はこうなのだろう。
でも優しく出来ないなら、過去の苦しみが全て無駄になる気がして、それが怖い。
賢い人からは「過去を切り捨てて、前を向いて生きるべきだ」と言われるかもしれない。
確かにそれは正しいことなのだろう。
でも苦しかった過去を切り捨てるというのは、過去の自分を殺す、殺人行為と同じじゃないかと思ってしまう。
なんだか、とても疲れた。
今日はもう寝よう。
明日が静かで心地よい1日になりますように。
金曜日
金曜日。梅雨だから天気が悪い。
いつも通り仕事をこなした。
ちょっとしたトラブルや、ちょっとした人間関係があって、そんないつも通りの金曜日。
2時間残業をした。
仕事終わりの頭はゆるゆるだった。
マックでハンバーガーを食べて帰った。恐ろしく濃い味付けで、明らかに身体に悪い食事。たまには悪くない。
家に帰った後、ゆるいバラエティ番組を観て、久しぶりに少し筋トレをして、面倒くさいと思いながら風呂に入った。
そして近所のコインランドリーで、布団を乾燥機にかけた。
暖かくててふかふかの布団の中で、村上春樹のノルウェイの森を少し読んだ。
特に何かが起きるわけではないが、リズムの良い文体の小説だ。
コバエが飛んでいたから殺そうと思ったが、僕が動き出した時には既に消えていた。
まるで始めから存在していないかのように。
僕もいつかそんな風に消えるのだろう。
淋しいけれど、それでいい。
明日は土曜だが、仕事に行かなければならない。
金曜の夜は身体から力が抜ける。
頭がゆるゆるになりすぎて、眠れそうにない。
眠りにつくには、ある程度の緊張感や不安が必要なのだ、と思った。
元恋人のことをなぜか思い出した。
彼女はあの頃と変わらずにいてくれているだろうか。
彼女は、秋の木みたいに、葉が落ちそうで、落ちずに、ゆらゆらと揺れているような、そんな人だった。
嫌な人になっていなければいいなぁと思った。
人はすぐに嫌な人になってしまうから。
こんな金曜日を、一体あと何百と繰り返すのだろうか。
そんなことを思いながら日記を書いている。
頭がゆるゆるとしている。
まあきっと、悪くない。
太宰治の『葉』の一文がふと思い浮かんだ。
どうにか、なる。
のどが乾いた。
日記を書こうと思った。何も書く出来事が見当たらない。 今日を生きたはずなのに。
それならばと、空想の物語、つまり小説を書こうと思ったが、何の物語も湧いてこない。
頭の中に何も湧いてこない。
空っぽ。
諦めて寝ようとするが、眠れない。
たぶん、俺は死んでいる。
静かな絶望と、虚しさと、薄っぺらい楽しさを感じている。
やけに暑い。
世の中には色んな事が起きている。
色んな人がいるから。
夜の空はとても綺麗で、この世界には何も無い。
何も無いのに、ひどく疲れている
たぶん俺は死んでいる。
草原のロバ
今日の昼頃、すごくしんどくなった。
特になにか嫌なことがあったわけではないし、休日で疲れているわけでもないのに。
とにかく嫌な気分だった。
気分晴らしに映画を観たり、小説を読んだりしようとしたが、何も頭に入ってこない。
外に出る気分でもない。
眠たいけど、眠れない。
仕方なく、バラエティ番組を観ていた。
まるでモンゴルにある草原で暮らすロバのように、何も考えずに、ただ過ごしていた。
そんな風にして数時間経つと、嘘みたいに気分が軽くなった。
夜、近所のスーパーまで歩いて、なんやかんやを買い、野菜炒めを作って食べた。
何が起きていたのだろくかと考えてみる。
きっと何もしなかったことが良かったのだろう。
いつも休日の昼間は、何かしないと勿体ないと思ってしまう。
無理に何かをする必要はなかったのだ。
人々はみんな何かに追われてるかのように、焦って、忙しなく生きているように感じるが、俺はそれに引っ張られる必要はないのだ。
俺は俺の内側にある時間の中で、俺らしい考えを巡らしながら生きていくのだ。
人々はなぜみんな急いでいるのだろう?
人生が短いからだろうか。
「限りある人生を大切に、今を大切に生きよう」なんてのは、正しすぎて俺に向いてない。
いつ死んだって構わないのだ。
きっと他者から見たら俺は、怠惰でまぬけで何も考えていない馬鹿者だと見られるのだろう。
別にそれでも構わない。
俺は俺なりに色々考えて必死に生きているのだ。
俺は弱い人間ではない。
心の中には、俺にしか見えないカケラがちゃんと存在している。
エンタメ消費スピード
昨今のエンタメ消費スピードが速まっているとよく耳にする。
中には映画を1.5倍速で見る人もいるらしい。
映画好きな僕からしたらそれはどうなんだという気持ちになる。
でも事実として世の中全体がそうなってきている。
今後それはどんどんそれがエスカレートしていくんじゃないかという気がする。
世の中はどうなっていくのだろう?
本当の楽しさは失われていくんじゃないだろうかという気がして、少し怖くなる。
実際、僕もショート動画をよく見る。
観たい映画や読みたい小説があるんだけどなぁと思いながら、ショート動画を見てしまっている。
多分それは脳を使わずに見れてしまうからだ。
家にいて、何をする時もスマホを使っていることにふと気づいた。
これじゃ脳が休まらないわけだ。
脳がフワフワしている。
ずっと、考え事をしている状態と何も考えていない状態のちょうど中間あたりみたいな状態。
そのせいで疲労が蓄積している気がする。
ずっと休みなく散歩しているような感じ。
僕は本当は走って、休んでっていうのをやりたいのに。
何もしない時間って大切だなぁと思った。